メッセージ

 地獄。死んでからの世界などあるはずない。迷信だ。そう思っている人も多いに違いない。というよりそう思っている人がほとんどで、真面目に地獄を信じている人間など現代社会にいないようだ。
 地獄=迷信、として片づけてしまうのは簡単だ。しかし、過去から現在までの長い間、そして東洋西洋の広い地域の人間に信じられあるいは語り継がれてきた地獄を、改めて考えてみてもいいんじゃないだろうか。なぜ、人間は地獄を考え、そして継承していったのかを。地獄が存在する意味を。
 まず思い浮かぶのは、人間に善をすすめ、悪をやめさせるということだろう。よいことをすれば極楽へ行き、悪いことをすれば地獄へ行く。至極単純で説得力がある。生前の悪行は来世で報復される。いわゆる因果応報というやつだ。それで恐ろしい地獄の世界が考えられた。地獄が恐ろしければ恐ろしいほど、現世での悪行をやめさせる説得力になる。
 また別の側面もあるだろう。実際の人間の世界では、悪をした人間がはびこっている。正直者がバカをみて、善をした人間が損をしている、おまえたちの実社会ではそんなことが多いはずだ。要領のいいやつ悪いやつがいるっていうことなどだ。現実社会では因果応報はないように思える。だから、せめて来世には因果応報、公平な裁きがあるはずだと思うようになったのではないだろうか。
 だが、それだけではないと、わたしは思うのだ。地獄での責苦、それは生前、自分が他人に与えた苦痛に他ならない。人がつまり地獄を思うとき、自分が他人に与えてきた苦痛を自らのこととして考える。相手の気持ちになって考える。このことを気づかせてくれるのも地獄の意味だと思う。わたしはそう思うが、みんなはどうだろう。
 地獄があろうがなかろうが、地獄を信じようが信じまいが、実際に自分の人生の生き方を決めるのは自分自身だ。自分で満足できる人生を送ればそれでよいのかも知れない。しかし、悪行をしてきた人間は果たして自分の人生に満足することができるのであろうか。その答えを考えるのはおまえたち人間自身だ。
えんま大王
 えんま大王の代理人としてホームページを作成。こんなコンセプトに反感を抱く方もいらっしゃるかも知れません。日本の地獄の思想は仏教の教えからだと聞きます。特に浄土宗系統と。またお寺によっては正式にえんま大王を奉ってあるところもあり、そのような所からみればこのホームページは耐えがたいふざけたものに映るかも知れません。
 しかし。地獄もえんま大王も仏教の範囲を越え、今ではわれわれ日本人の心に深く根ざしているように思えます。言葉は悪いような気がしますけど世俗化。民衆信仰とでもいえばよいのでしょうか。そして、お寺以外にもえんま堂なるものが各地にあるといいます。つまり、地獄もえんま大王も特定の宗教の存在から日本人全体の精神的な共有財産みたいなものになったのではないでしょうか。
 そんな考えから、えんま大王のホームページを作りました。少し創作やエンターテイメントというかジョークや洒落も加えて作りました。決してえんま大王を侮辱し冒涜する意志は全くありません。どうかひとつ洒落として大きな目で見ていただければ幸いです。また、それでもなお、行き過ぎの面がございましたら、ご指摘ご指導たまわりますようお願い申し上げます。
 また、国立博物館など収蔵の絵の画像は、国民全体の財産であるという観点から、このホームページに掲載しました。もちろん著作権、肖像権はこれら博物館が有していますので、営利目的に使用する意図はありません。
タンバリン・テツロー

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00/01/15