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往生要集と源信

 猛火の中を罪人が逃げまどう凄惨な地獄。この地獄の様子は千年以上前に記された「往生要集」が原点だ。「地獄物語」と異名される「往生要集」の描いた地獄は、現代に至るまで日本人の意識の根底に生き続けているのだ。そんな、おまえたち日本人の来世観、地獄の観念を形成・普及させた「往生要集」とその作者「源信」について、少しだけ解説しよう。

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往生要集
 全10章3巻からなるが、ここでは上巻の地獄の記述の一部を紹介しよう。
「大文第一」
 今その相を明さば、惣べて七種あり。一には地獄、二には餓鬼、三には畜生、四には阿修羅、五には人、六には天、七には惣結なり。
 第一に、地獄にもまた分かちて八となす。一には等活、二には黒縄、三には衆合、四には叫喚、五には大叫喚、六には焦熱、七には大焦熱、八には無間なり。
 初に等活地獄とは、この閻浮提の下、一千由旬にあり。縦広一万由旬なり。
 この中の罪人は、互に常に害心を懐けり。もしたまたま相見れば、猟者の鹿に逢えるが如し。おのおの鉄爪を以て互に掴み裂く。血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり。或は獄卒、手に鉄杖・鉄棒を執り、頭より足に至るまで、あまねく皆打ちつくに、身体破れ砕くること、猶し沙だんの如し。或は極めてするどき刀を以て分々に肉を割くこと、厨者の魚肉を屠るが如し。涼風来り吹くに、尋いで活えること故の如し。くつ然としてまた起きて、前の如く苦を受く。或いは云く、空中に声ありて云く、「このもろもろの有情、また等しく活えるべし」と。或は云く、獄卒、鉄叉を以て地を打ち、唱えて「活々」と云うと。かくの如き等の苦、具に述ぶべからず。
 人間の五十年を以て四天王天の一日一夜となして、その寿五百歳なり。四天王天の寿を以てこの地獄の一日一夜となして、その寿五百歳なり。殺生せる者、この中に堕つ。
  • 惣結:全体を結びくくること
  • 閻浮提:おまえたち人間の住む世界
  • 由旬:ヨージャナの音写で、インドの距離の単位。約14.4km
  • 沙だん:砂の塊、土塊
  • 厨者:料理人
  • くつ然:たちまち
  • 有情:生きとし生けるもの。とくに人間のこと
  • 四天王天:四方を守る護法神。東方・持国天、南方・増長天、西方・広目天、北方・多聞天
      
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日本浄土教の祖、源信
 恵心僧都(えしんそうず)とも横川(よかわ)の僧都とも呼ばれ、日本の浄土教の祖と仰がれている。天慶5年(942)、大和国葛城郡当麻(たいま)郷良福寺村(現在の奈良県香芝町大字良福寺)に生まれる。
 源信の生家はト部(うらべ)家には3人の女の子がいたが、男子に恵まれなかった。そこへ生まれた源信は両親の愛情を一身に受け、すくすくと育っていった。7歳のとき、父が没すると遺命のもとに出家を志し、9歳のとき、母と別れて比叡山に登り、13歳で正式に得度受戒した。その後、32歳ころ母の死に遭うと同時に、横川に隠棲した。
 永観2年(948)11月、源信43歳のとき「往生要集」を起稿し、3巻を完成したのは翌寛和元年4月であったという。
 そして、寛仁元年(1017)6月、病気で76歳の生涯を閉じた。
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00/02/17


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