地獄自体の歴史はおまえたち人間が知ることはないだろうし、必要もないだろう。ふふふふ・・・地獄がいつ出来たかは、ヒミツだ。だが、おまえたち人間が、いつどこで地獄の存在を考えだしたのかは、興味あるだろう。ない?まぁ、そう言わずに読んでくれ。
地獄思想は仏教から。だから最初に地獄の存在を言い出したのは、仏教つまり釈迦だ、と思っている人が多いと思う。実際、釈迦の最も古い文献「法句経」や「スッタ・ニパータ」には、地獄が説かれている。「スッタ・ニパータ」(ブッダのことば)には「コーカーリヤという修行者は悪口を言ったために地獄へ落ちた。地獄へ落ちた者は、鋭い刃のある鉄槍を身に受けたり、灼熱された鉄丸のようなものを食わされたり、燃え盛る火の中に入れられたりする」と書かれている。
しかし、それより古いインドの文献にも地獄の思想が説かれているという。では、地獄の思想は釈迦以前のインドで始まったのだろうか。いや、インド最古の文献「リグ・ヴェーダ」や「アタルヴァ・ヴェーダ」には死者は永遠の光のあるところに行くと説かれ、地獄の思想はみられない。ということは、インドには元来地獄の思想がなかったということだ。地獄の思想がインドの文献に登場するのは紀元前十世紀ごろだという。では、どこで地獄の思想が始まったのだろう。
それは、メソポタミア地方だという。そこには紀元前三千年のころから栄えたシュメール族の「もどることのない国」クルの信仰があった。そのクルがバビロニア、アッシリアのアラルルー、ヘブライのシェーオール、ギリシャのハァーデース、そして東洋のインドの地獄になったという。つまり、東西の地獄思想はすべてシュメール文明が元だと言われているのだ。
では、この国、日本は。地獄思想そのものが日本にもたらされたのは仏教とともにだろう。しかし、実際に日本に地獄思想が広がっていったのは、時代が下って平安時代である。当時の平安仏教の中核をなしていた天台宗が地獄の恐ろしさを日本人に知らせたのだ。天台宗といえば最澄。そして、その最澄の教説は六世紀の中国の思想家、天台智の教説をもとにしていた。智は「天台小止観」の中で十界の思想を説いている。そのなかで地獄の思想がみられる。「十界とは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六道の迷いの世界に、声聞、縁覚、菩薩、仏の4つのさとりの世界を加えたものである」と。
つまり、本格的に日本に地獄思想が根付くのは、最澄の智の思想をもとにした天台宗からであった。
さらに、日本に地獄の思想が確固たるものになったのは、天台宗の僧、源信の「往生要集」からであろう。天台から続く六道の世界。そして現在広く知られている、等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻の八つの地獄が説かれている。一方、浄土や極楽思想の基礎にもなったと言われている。
西洋へもシュメール文明のクル信仰から地獄思想が始まったとは前述した。古代ギリシャのホメロスの中でも死者が影絵のようにうごめいてるハァーデースの国が描かれてる。ソクラテスなんかも死ぬ前にハァーデースについていろいろ思っている。しかし、強烈な地獄のイメージがヨーロッパに入ったのは、やはりキリスト教とともにあったようだ。中国や日本など東洋へは仏教を介してだったのと対照的だな。
00/01/26