| 餓鬼道 |
物おしみをし、貪り、そねみ、ねたんだ者が鬼となって堕ちる世界。餓鬼の世界は2つある。1つは地下500由旬(7200km)の閻魔王の国にあり、もう一つは人間界と天界の間にある。餓鬼となった者は人間界の1ヶ月を1日として500年間、ここで苦を受けるのだ。
餓鬼道の鬼には様々な者がいる。
鐫身(かくしん)
人間の倍の身長があるが顔も目もなく、手足は釜の脚のようである。火が体の中に満ちていて身を焼く。財を貪り、殺生を行った者がこの報いを受ける。
食法(じきほう)
色は黒雲のように黒く、涙を雨のように流し、食を求めて走り回っている。名誉や利益を得ようと不浄な説を唱えた者が、この報いを受ける。
食水(じきすい)
飢えと渇きに水を求めるが苦しみばかりで得ることができない。長い髪が顔におおいかぶさっていて何も見えず、河のほとりで渡る人の足から落ちるしずくや、亡くなった人父母に供えられた水などをわずかに飲んで生命をつなぐ。自分から水をくんで飲もうとすると、水を守る鬼たちが杖で打ちすえる。
酒に水を加えて売るなど不当に利益を貪った者が、この報いを受ける。
け望(けもう)
この世の人が亡くなった父母の追善に供えものをした時だけ、その供えものを食べることができる。人が苦労をして得たものを、だまし取った者がこの報いを受ける。
その他、悲惨な餓鬼たち
わが子を食う餓鬼
昼夜におのおの5人の子供を生むが、飢えのため、生むたびにその子を食べてしまう。それでも飢えの苦しみから逃れることができない。
自分の脳味噌を食う餓鬼
食べ物を何一つ食べることができぬまま、自分で自分の頭を割って、脳を取り出して食べる餓鬼。なんとも、恐ろしい話だな。
飛んで火にいる蛾を食う餓鬼
口から火を出して、寄ってくる蛾をとらえて食う餓鬼
スカトロな餓鬼
人の糞や涙や膿みや血や、皿に洗い残した食べ物だけを食う餓鬼
いじめに合う餓鬼
飢えと渇きで、体が痩せ枯れ木のようになって、やっと水をみつけて走りよると、獄卒に杖で打ちすえられたうえに、清流も火の河になってしまう。
食いたくても食えない餓鬼
口が針のように細く、腹が山のようにふくれてしまって、食べ物を前にしながら、どうしても食べることができない。こ、これは悲惨だ。
餓鬼道の苦しみは飢えと渇きだ。これはある意味、地獄の苦しみより、つらいかも知れないな。 |

餓鬼草紙(部分) 東京国立博物館蔵 |
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| 畜生道 |
畜生道は地獄、餓鬼と合わせて三悪道とよばれている。できることなら、この3つは願い下げだな。
畜生の住まいの中心は海中だが、その他、人や天と交わって生活している場合も多い。畜生の種類は三十四億におよぶが、大きく分ければ、鳥類、獣類、虫類の3つになる。まぁ、魚類や両生類、爬虫類、原生動物は?といわれそうだが、六道の世界では大まかにはこう言われているのだ。
かれらはつねに弱肉強食の争いを続け、昼も夜も恐怖に心が休まるいとまとてない。さらに水中に住む者は漁師に、陸に住む者は猟師に捕らえられ殺される。また象や馬や牛などは、鼻や首をつながれて、背に重い荷物を負わされ、人に鞭打たれる。鹿や鴨はハンターの的に、鶏は闘鶏の見せ物に、犬は子供の慰みものにされる。そして豚は食われるために生かされているのだ。虫たちの中には、闇の中で生まれ闇の中で死んでいく者、人の体について人ともに生き死んでいく者などさまざまだ。
畜生道に堕ちた者は、ある者は短い時間、あるものは百千万億劫にもわたる長い時間、計り知れない多くの苦しみを受けたり、突然、思いもかけぬ無残な死に方をしたりする。
人の世にあったとき、愚痴で恥知らずで、他人の施しを受けるばかりで償いをしなかった者が、この報いを受けるのである。 |
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| 阿修羅道 |
阿修羅とはアスラのことで、戦闘を好む鬼神だ。天界に住む帝釈天とつねに交戦している。要するに阿修羅道とは、絶え間ない闘争の世界だ。須弥山(しゅみせん)の北の大海の底と、四大州の山中の岩石の間が住処である。
海上の雷鳴を聞いて、宿敵帝釈天の軍鼓と思い恐れおののき、また戦いに負傷し、若くして生命を落とす。絶えざる戦闘と殺戮、そして敵襲の不安にいっときも心休まらない世界だ。 |
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| 人道 |

六道絵「人道不浄相図」聖衆来迎寺
絶世の美女が死に腐乱し鳥獣に食われるさま。
美女は一説には小野小町。 |
人道、つまりおまえたちの人間界には、3つの様相がある。
不浄の相
人間の体は三百六十の骨、九百の肉片、九百の筋などでできあがり、腹の中には五臓六腑と呼ばれる内蔵や腸がぎっしり詰まっている。そして、どのように上等な食べ物を食べても、体内で一夜たてば不浄となる。その糞の臭いのように、老いも若きも、いかに美しく飾ろうとも、人の体は不浄なのである。まして、死後、墓地に捨てられ七日もたてばその体はふくれあがり。野獣に食われ蛆がむらがり、ついに白骨となり、年月を経て土に還る。人間の体は始めから終わりまで不浄なのだ。
絶世の美女とて同じこと、死んで野に捨てられれば、その身は腐乱し、鳥獣の餌食となり、蛆におおわれ、白骨となり土に還る。
苦相
男にしろ、女にしろ、この世に一度生を受け、外気に触れるとともに、はげしい苦悩を受けることとなる。成長した後も、体内には四百四病といわれるような、全身さまざまの病を宿し、体外には罪によって捕らえられ責められたり、寒さ熱さ、飢え渇き、あるいは自然の暴威など、さまざまな苦悩が迫りさいなむ。いわゆる四苦八苦だ。四苦とは生・老・病・死を、八苦は四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五盛陰苦を加えたものだ。
すなわち、生まれる時の苦しみ、老いの苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、愛する者と別れる苦しみ、憎みあい殺しあう苦しみ、求めても得られぬ苦しみ、そしてこれらのことが解らず執着したためにおきる苦しみだ。
無常の相
人の生命ははかない。人生は短い。いずれは死ぬということだ。
一日が過ぎるごとに生きる日数が減っていくさまは、乏しい水に浮かぶ楽しみもない魚や、屠殺場へ一歩一歩死に近づく牛の歩にも似ている。それは一般庶民だけでなく、いかなる者も抱く恐れである。死神から逃れようと、天に昇り、海に入り、山に隠れても死を免れることはできない。どんなに修行を積んだ仙人とて同じことだ。
無常の死神は、権力のあるなし頭のよしあしに関係なく、河の急流や稲妻よりも速く迫ってくる。死から逃れる処がないと知ったとき、心は恐怖につつまれ、安らかな眠りも、食事の味も失われてしまうだろう。死の恐怖を例えれば、猟師に追いつめられ、耳や尾や牙をとられて、もはやなす術なくなった狐が、眠ったふりをして助かろうとしているとき、「頭も切手しまえ」との声を耳にして、大いに驚き恐れるようなものだ。 |
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| 天道 |
天道は欲界、色界、無色界の三つに分かれる。
例えば欲界。快楽極まりないという、とう利天とて、天寿尽き臨終の際には、天人に五衰の相が現れるのだ。一つには華の髪飾りがしおれ、二つには羽衣が埃や垢で汚れ、三つにはわきの下に汗が流れ、四つには眼がくらみ、五つには歓楽の場所であったこれまでの住処をも楽しまなくなる。
この五衰の相が現れると、天女や一族の者は、その天人を雑草のように見捨てて遠ざかってしまう。歓楽を極めた後だけに、その苦しみは地獄の苦しみより大きいのだ。
色界と無色界には五衰の相はないとはいえ、ついには天を去らねばならぬ苦しみがあるのだ。天界最上の天である悲想天でさえも、地獄の底の阿鼻地獄に堕ちないという保証はないのだ |
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