小野篁(おののたかむら)

平安時代のタンバリン・テツロー



京都六道珍皇寺。小野篁像
昔もいた、タンバリン・テツロー
えんま大王の代理人として、わたしの代わりにこのホームページを製作しているタンバリン・テツロー。彼はこのままの所行では将来が案じられるので、わたしが改心させる意味で代理人になってもらったのだが、1000年以上前の昔にもこの世とあの世の架け橋のような人間がいたのだ。
 その名は、「小野篁」802〜852年。平安初期の漢学者で歌人。昼は宮中に仕え、夜は京都清水寺近くの六道珍皇寺の井戸から冥界に通い、閻魔庁の役人を務めていた。つまり、現世と冥界に二股をかけて務める高級官僚だったのだ。冥界でも役人を務めていた篁は夜になると珍皇寺の井戸から冥界へ行き、朝には同じく京都の上嵯峨にある六道福生寺の井戸をのぼって現世に戻っていたのだ。
 その篁にまつわる話があるので紹介しよう。

平安の丹波哲郎、愛欲地獄に溺れる

 昔、丹波哲郎氏のように冥界を見物したくてたまらない男がいた。そして、珍皇寺に冥界への井戸があるというので「ここを通りたい、通りたい」と願をかけた。するとある日の夕方に黒装束にしゃくを持った貴人が馬に乗って現れた。そして「そんなに行きたいのなら連れて行ってやろう」と、井戸へ案内してくれたのだ。ところが、冥界の入口での通行許可の手続きの間に、丹波氏は美女に誘惑されて愛欲地獄に溺れてしまったのだ。
 そして、地上では井戸のそばでこの男が死んでいた。それを見つけたこの男の両親は悲しみ、篁に頼んで冥界から連れ戻してもらおうと、珍皇寺に願をかけた。するとまた貴人が現れた。
「わたしは小野篁だ。息子さんを冥界見学に連れて行ったら、畜生道の美女に誘惑されて愛欲地獄へ行ってしまったのだ。まぁ自業自得なんだがかわいそうだから生き返る方法を教えてやろう。この女は猫に生まれ変わって、昨日5匹の子猫を産んだ。その1匹をもらってきて死者の耳元で鳴かせなさい」と言った。両親がそのようにすると息子は生き返ったという。

 この篁といえば遣隋使のあの小野妹子の子孫。博学で教養もあったが、性格は直情型。遣唐使にも選ばれたが大使と争いをおこし、遣唐使批判にまわる。そのため嵯峨天皇に隠岐に流されたが、2年後には京都に戻った。

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00/01/26